「見ているとその通りに動くのに、自分が入ると逆に行く。」
この言葉を、私も口にしたことがあります。見ているだけの日は、形が出るたびに値が思った方へ動く。注文を出した日に限って、反対へ行く。なぜなのか、分かりませんでした。
腕のせいでも、運のせいでもありませんでした。見ている時と入った時で、数え方が違っていただけです。違いは二つあります。

見ているだけの時は、外れを数えていません
入った時の記録は、全部残ります。勝った注文も負けた注文も、口座の履歴に1行ずつ並びます。
見ているだけの時は、何も残りません。残るのは記憶だけです。そして記憶は当たった場面を覚えていて、外れた場面を忘れます。「あの形はやっぱり上がった」は覚えています。「あの形はすぐ下がった」は、見ていたことごと忘れています。
つまり、見ている時の成績は当たりだけを数えた成績です。入った時の成績は、外れも全部数えた成績です。割る数が違うものを並べて、「見ている時の方が当たる」と感じていました。
見て当たる場面には、大きな流れに逆らう側が混ざります
もう一つ、理由がありました。
見ていて「当たった」と感じる場面には、週足の流れに逆らう側の形が混ざります。下げている通貨の、きれいな反発。上げている通貨の、きれいな押し。

逆らう側の形は、本物に見えます。実際にいったんは形のとおりに動きます。
ただ、大きな流れに押し戻されるので伸びません。見ているだけの時は、少し動いた時点で「当たった」に数えます。入っていると、伸びずに戻ってきたところで切られます。
なので同じ場面でも、見ている時は当たりとして数えられます。入っていれば、負けとして口座に残ります。

「なら、見て当たった場面だけ入ればいいのでは」
「見て当たると分かっているなら、その場面で入ればいい」。そう返されることがあります。それができないから、この話になっています。当たったと分かるのは、動いたあとです。
形が出た瞬間に分かるのは、週足の流れに逆らう側かどうかまでです。その先の、当たるか外れるかは分かりません。見て当たった場面だけに入る方法は、あとからしか使えません。
なので私がやったのは、当てる場面を選ぶことではありません。数え方を揃えることでした。
形が揃った場面は、全部置きます
揃え方は一つです。自分の決めた形が揃い、置いていい条件を通った場面は、全部注文を置く。
置く場所は、押しのあと、いちばん近くにできた小さな山を抜けた一点です。損切りは押しの底の下に置きます(底が二つなら低い方の下)。抜けなければ、注文は約定しないまま残ります。
約定しなかった注文も、置いた記録としてメモに残します。こうすると形が揃った場面は、勝ちも負けも約定しなかったものも全部同じ表に並びます。見ている時と入った時の差は、ここで消えます。
ただし、週足の流れに逆らう側の形には最初から注文を置きません。見ていて気持ちよく当たる場面のいくつかは、ここで対象から外れます。
全部置けば、負けの数は増えます。それで構いません。1回の負けは損切りの幅で決まっていて、伸びた時だけ大きく取れるからです。

見て当たることと、入って残ることは別の数え方です
まとめ直します。見ていると当たるのは、外れを覚えていないからです。見て当たる場面には、大きな流れに逆らって少しだけ動く形が混ざっています。入ると逆に行くように感じるのは、同じ場面を外れまで数えているからです。
私は、当てにいきません。形が揃ったら置く。揃わなければ置かない。採点するのは、置いた分だけです。見ていただけの当たりは、口座に何も残していません。
私の説明が、あなたの画面でも当てはまるとは限りません。次の1週間は、自分の形が出た場面を入らなくていいので全部書き出してください。
一週間後、その場面が伸びたか戻ったかを横に書きます。覚えていた「当たり」の数と書き出した表の数は、たぶん違います。
覚えていた数と、書き出した表の数。その2つの数字だけ、メルマガに返信してもらえたら読みます。
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——見送った場面を数え直すと、悔しさの中身が変わる話です。
——見ていたのではなく、実際に入った1本の記録です。
私の形と置く場所の決め方は、無料の一冊にまとめています。


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本記事は私の経験と考え方の共有であり、特定の金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
投資には元本を割り込む損失のリスクがあり、最終的な判断はご自身の責任で行ってください。



